現在の御社殿は昭和6年に造営され、翌7年に御遷座が執り行われました。令和7年3月には「本殿」「拝殿及び幣殿」そして拝殿から本殿を囲む「透塀」が、それぞれ国登録有形文化財(建造物)に登録されました。
※透塀…中ほどを連子・透かし彫りなどにして、内部が透けて見える塀のこと
石切劔箭神社は、神武紀元2年、現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎したことをもって創祀といたします。その後、崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社(現御本社)が創建され、長らく饒速日尊を祀る宮山、可美真手命を祀る下之社(合わせて石切劔箭命神社二座)として祭祀が継承されました。慶安3年(1650)、宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ、下之社に対し、上之社と称されるようになります。
しかしながら時代は下って明治40年、政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀されることとなります。その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが、崇敬される参拝者は後を絶たず、多くの方々の御懇志により昭和47年に再興され現在に至ります。現上之社の御本殿は、元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので、昭和7年に現御本社本殿造営を機に解体保存されていたものです。
境内は厳粛かつ神聖な祈りの場でございます。
御神前への不敬、また他の参拝者への迷惑行為は固く禁じております。
神域の護持のため、また、皆様が心地よくお参りができますようご理解とご協力をお願い申し上げます。
ご参拝の記念、個人で楽しむ風景撮影には許可申請は必要ございませんが、
書籍・雑誌・テレビ等への掲載など商用、営利目的の撮影は事前に届け出が必要となります。
また、当神社では境内での以下の行為を固くお断りしております。